落合邦子のライフスタイルブログ

2012年 4月 15日

熊野から麻布へ

カテゴリー 日々の出来事

私の祖父は和歌山県新宮市出身ですが、北海道大学のクラーク博士の「少年よ大志を抱け」という言葉に憧れて北大に通いました。明治時代、紀州から北海道に行くということは、かなり勇気のいることだっと思います。そしてさらに大志を抱き、満州に渡り、そこそこ成功していたようです。
しかし敗戦のため日本に帰国し、晩年は新宮で過ごしていました。私の父は満州で生まれ、日本に戻った折にはすぐに京都、そして大阪の大学に通いましたので、ほとんど新宮には住んでいなかったとのことです。
私は子供の頃、夏休み、春休みには、新宮の祖父母の家に遊びに行きました。今は世界遺産に登録されている熊野川沿いの風光明媚な田舎です。
川で泳いだり、川魚を採ったり、杉やヒノキが植わっている山を登り、山菜を採ったり・・・杉の苗木を小学生のころ一緒に植えたこともありました。
今パワースポットブームですが、子供の頃を思い出すと、那智の滝や熊野本宮神社や速玉大社などへ祖父に何度も連れて行ってもらいました。高野山の宿坊にとまったこともありました。子供ながらに高野豆腐の味を覚えています。
そんな懐かしい紀州の町ですが、祖父母も亡くなり30~40年たち、法事以外はお墓参りに行く機会がなくなってしまっていました。そんな折、昨年秋の台風で、熊野川の氾濫がおこり、管理をしてもらっていた祖父の家が床上浸水しました。
そこで、高齢の父母は、お墓を東京に移す英断を下しました。
新宮の菩提寺に供養をしていただき、石屋さんにお墓の中から骨と土を出してもらい、それを骨壺に詰めて東京に持ちかえることになりました。ご先祖様には申し訳ありませんが、これも致し方ありません・・・父と私、そして、タイミングよくアメリカから一時帰国した弟と3人でそのミッションにあたりました。


穏やかな流れの熊野川ですが、台風の爪痕も残っていました。

紀州の山の中にお墓はあります。

供養も終わりホテルに一度戻り、その後20年ぶりの新宮の町を歩きました。
かつてはにぎわっていた駅前や商店街はずいぶん寂れていしまっていたのが残念でした。今ブームの熊野古道の通過地点になってしまっているようです。
でも速玉大社には観光バスが乗り付けていました。


世界遺産の速玉大社のご神木はなぎの木です。平重盛が手植えしたと伝えられています。その当時、熊野御幸はブームだったようです。

神が降り立った地は森閑とした空気がありました。

速玉大社のすぐ近くに有名な鰻屋さんがあります。祖父に連れてきてもらった頃と変わりがありませんでした。

さて、そして、本日、麻布のお寺で納骨が無事に終わりました。
宗派も同じで実家に近く、きれいなお寺です。
先祖代々の移動を供養していただきました。

昨日の雨にも耐えた枝垂桜がきれいに咲いていました。どうぞこれから、この地で私たちをお守りくださいとお祈りしました。

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