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2009年 3月 27日

ポール・セザンヌゆかりの南仏の町を旅して

カテゴリー 旅のエッセイ

**1月にフランスを旅してきました。その様子は、現地からブログにアップしましたが、画家のポール・セザンヌをテーマに旅したそのレポートを書きました。**

今回のフランスの旅は、寒波の厳しい1月ということもあり、目的地を南にしました。
南仏は私にとって、第2の故郷のような思い入れがあります。それは、私が初めて海外旅行したのが南仏のエクサンプロヴァンスで、そこで1か月ホームステイをしたからです。
その後も何回か南仏を訪ね、アルル、アビニョン、マルセイユ、サロンドプロヴァンス、レボー、ニームなど、主だった町は旅しました。

そこで今回は、友人の住むマルセイユにホテルをとり、そこから、エクサンプロヴァンス、レスタック、タラスコンを旅することにしました。
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エクサンプロヴァンスとレスタックは画家ポール・セザンヌのゆかりの地です。私はセザンヌのしっかりと対象物をとらえた画風が好きです。
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また、彼はエクサンプロヴァンスにそびえるサンヴィクトワール山を何枚も描いていますが、その絵を見るたびに学生時代のエクサンプロヴァンスでのホームステイの思い出が蘇り、特別な気持ちで見入ってしまいます。

セザンヌは、エクサンプロヴァンスの資産家に生まれ、父親の言いなりに初めは法律の勉強をしますが、画家になることを夢見て22歳の時にパリに行きます。しかし田舎から出てきたセザンヌはパリでの仲間達にうちとけることができず、エクサンプロヴァンスに戻ってきます。そして、エクサンプロヴァンス近郊の風景や、静物をもくもくと描き続けます。同郷の親友だった作家のエミール・ゾラが、セザンヌをモデルにした、売れない画家が世に出ることなく死んでいくストーリーの小説「制作」を出版したことを機に、親友とも決別し、孤独ながらにも自分の画風を確立することに没頭していきました。

レスタック

セザンヌの絵でよく目にするのがリンゴやオレンジの静物画や、無表情な彼の妻の絵、サンヴィクトワール山の絵ですが、私はレスタックという町からの海の眺めを描いた作品が気になっていました。
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マルセイユの西に位置するこの町に行ってみたいと思い、マルセイユから車で案内をしてくれるというフランス人女性、マダム・ノエルにレスタック行きをお願いしました。彼女は私の友人の知り合いで、日本に興味のある方です。
紺碧の空と海の景色の中、古いマニュアル車のシトロエンで、私たちはマルセイユからレスタックに向かいました。街道に面したレスタックの町には、カフェと並んでポワッソニエール(魚屋)があり、獲れたての新鮮な魚を店先に置いていました。
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路上に車を停めて、まず海岸近くまで散策しました。数多くのボートが停泊していました。
白いボートと真っ青な海とのコントラストが素晴らしかったです。
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風が強くて体が少し冷えてきたので、道沿いのカフェで体を温めました。
初めてお会いするマダム・ノエルでしたが、とても気さくで、会話が弾みました。
と言っても、日本語を学びたい彼女に、日本語の単語を入れながらのおしゃべりでしたが。
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一息ついた後、道をはさんで海とは反対側の丘の上まで歩いて登りました。
途中の大きな家の庭には、早くもミモザがたわたわっと黄色い花を咲かせていました。
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息を切らせて丘の上に登り切ると、そこからの眺めは、まさにセザンヌが「レスタックからのマルセイユ湾の眺め」や「レスタック」で描いているものでした。輝く青い海の向こうにマルセイユが見え、手前には、レスタックの民家の赤茶色レンガがアクセントになっています。
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私は感激のあまり、何枚もカメラのシャッターを切りました。セザンヌはここからの眺めをどんな思いで描いたのでしょうか。売れない画、親友ゾラの裏切り、父との確執、嫁姑のトラブルなど精神的には穏やかとはいえなかったと思います。しかし、この壮大な景色が彼の救いだったのかもしれません。

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